河野太郎「日本の外交と安全保障」講演

'11.2.4平塚で1時間の講演を聴講した。
河野太郎の第一印象は、挑戦的な熱血政治家だ。学生時代は競走部に所属し彼の記録は未だに破られていないスポーツマンでもある。
大学1年で渡米し、外交戦略で有名なジョージタウン大学に入学した。この大学はクリントの母校でもある。当時はレーガン大統領時代。そのときは名前も知らないで、かのオルブライトのゼミを受けた。クラスメートのディスカッションが盛んに行われた。終わると、オルブライトに呼ばれ、「何故ディスカッションに加わらないのか、やる気がないなら止めてくれ」、と言われた。日本人だから英語が苦手だと答えると、「それはお前の勝手だ」と突き放された。まともには米人相手のディスカッションに加われない事を悟り、次の授業からは、先ず最初に発言し自分がディスカッションをリードし、発言権を奪われるまで兎に角喋りまくった。

その大学から学生10人が選ばれ、米人と一緒に半年間ポーランドの大学に留学する機会を得た。ポーランドに着くと、ポーランドは自由な国だと言われたので、それを真に受けて自宅軟禁のワレサに会いに自宅を訪問した。すると、警察に捕まり一晩監獄で過ごした。

中国の海洋戦略について。1982年劉華清海軍提督が策定した長期海洋戦略にある。2010年までに第一列島線(沖縄、台湾、フィリピンから南シナ海に延びる線)に防衛線を引き、その内側に米国海軍を入れない。2020年までに複数の空母部隊を建設し、第二列島線(伊豆・小笠原諸島、グアム・サイパンから南に延ばした線)の内側の制空権を支配する。2040年までに西太平洋とインド洋における米海軍の独占状態を阻止する、という戦略である。

この10年間、中国の国防費は5倍、韓国やインドは2倍、オーストラリアは中国の脅威に備えるためと明言し3倍に増加。それに比べ、日本は10年前より減少という状況。

南シナ海では、中国はASEAN諸国と領土問題を起こしてきた。これまで西沙群島や南沙群島では、中国漁船がその海域に進出し、島に構造物が建造され、最後にそれを守るという名目で軍が上陸して実効支配する、ということが行われてきた。紛争当事国は、怖くて近寄れない状況になってしまった。尖閣諸島付近での動きがこれに似てきた。

沖縄の米軍基地は中国に対する抑止力として重要な存在。グアムやテニアンでは遠すぎる。日米同盟は、日本のためばかりではなく、この地域のパワーバランスを守るためにアジア諸国が必要とする国際公共財である。中国に対していくためには、日米同盟に加え、日露が結束して中国に当たる、更には日本のNATO加盟(韓国をも含め、民主主義を基本とする国々からなる一大同盟。名称変更が必要)も視野に入れる必要が出てくる。

中近東諸国に共通する問題点は、政権の「正当性」である。即ち、政権がいかに民衆から支持されているかである。民衆は、イスラムの教えに正義を求めるが、政権は現実的課題である経済や国防を解決するためイスラエルや米国と協調する。このような反イスラムの国と仲良くすることに、民衆は不満を持つ構図となる。したがって、ポストムバラクは、親米ではなくなるであろう。なぜなら、国民の8割は、米国嫌いである。そこに、日本が米国に代わって技術・経済で援助する、またとない外交の機会が訪れている。

講演を終えると、懇親会にも出席せずに羽田から米国に出張する忙しさだ。

120918追加
元々中国が1982年に策定した長期海洋戦略によれば、「2020年までに第2列島線(伊豆・小笠原諸島、グアム・サイパンから南に延ばした線)の内側(西側)の制空権を支配すること」が国家目標になっている。表面的には、日本が国有化したことを問題にしているように見えますが、尖閣諸島支配は、既に第2列島線確保に含まれている。
ホームページは、http://www.taro.org/
(国政報告紙ごまめの歯ぎしり40号http://www.taro.org/pdf/40.pdfに詳しい)
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この記事へのコメント

noga
2011年02月06日 06:11
中国は、中原に鹿を追う伝統的な覇者の国。
だから、中国人に覇権主義は避けられない。
力を示したものが覇者となる。
漢民族が、東夷 (とうい)・西戎 (せいじゅう)・南蛮 (なんばん)・北狄 (ほくてき)に対して種々の要求をする。
議論を好まない。覇者はただその力を示す。
口実は、その後からついてくる。

中国語には、時制がない。
中国人は、現実しか語らない。
聖人と呼ばれる孔子でさえそうであった。
宗教の内容など、彼らにとってどうでもよいことである。宗教は、何でもあり・何でもなしである。
自分の都合が悪くなれば、覇者は書を燃やし儒者を坑する(儒者を生き埋めにする)。
このやりかたは、今日に至るまで変わることがない。

力は正義である。(Might is right).
自分の考えている「あるべき姿」の内容を相手に穏やかに話し、手には棍棒を持っているのが上策である。さすれば、正義は我が方に来る。
日本の武士の子孫は、余念のない刀の手入れを怠っているのではないか。
力不足であっては、実効支配もままならない。
それでは、歌詠みにでもなるか。文武両道は難しい。


http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812


hashi
2011年02月06日 11:11
noga様
昨年の「漢字廃止 是か非かのディベート 」に引き続き、高邁なコメントを頂き有難う御座います。
武士の子孫として、たとえ衆寡適せずであっても、刀を磨く心を持ち続けますので、ご指導よろしくお願い致します。

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